「はたらくデザイン」
をめぐる対話
「伝統」とは、最善の「今」を積み重ねたもの。
2018年においかぜ代表の柴田が立ち上げた「はたらくデザイン事業部」。
「はたらくデザイン」とは、働き方をより良くするための仕組みづくりや、新しいチャレンジができる環境づくりを通して、新たな「はたらく」をつくること。この考え方は、おいかぜの理念「だれかのおいかぜになる」とも通じ、全事業部の根底に流れるものでもあります。
本連載は、おいかぜ代表・柴田が、京都に縁のある経営者と「『はたらく』をデザインすること」について語り合う対談コンテンツです。第7回目のお相手は、 京都で220年間和菓子屋を営む亀屋良長株式会社8代目当主の吉村良和さん。「伝統」をテーマに、それぞれの「はたらくデザイン」について語り合いました。
でデザインする。
CHAPTER01
昔も今も「お客さんの思いを形にする仕事」
柴田亀屋さんは2023年で220周年を迎えられましたよね。うちは20周年なので、ちょうど200歳差です。周年祭にもお邪魔させていただきましたが、本当に、途方のない歴史の長さだなぁと圧倒されました。
吉村僕で8代目なんですが、創業は江戸時代で、当時は「上菓子屋」と呼ばれていました。上菓子屋は幕府からお砂糖を使うことが許されたお菓子屋さんで、京都に246軒あったそうです。そのころはお砂糖が高かったので、お店は作り置きをしていなくて、お菓子のイラストが描かれた「見本帳」を見てお客さんが注文していたようです。
当時から「お客さんの思いを形にする仕事」だったんですよね。お客さんの思いを汲み取り、お菓子という形にして提供する。それで喜んでもらえたり、幸せな気持ちになってもらう。それは今も変わっていないですね。
柴田亀屋さんとお付き合いさせていただくことになったきっかけは、「吉村和菓子店1」のサイトのご依頼でした。そこからいろいろとお手伝いをさせていただいて。
吉村その後、公式サイトのリニューアルもお願いしましたね。
柴田吉村さんとの打ち合わせは、いつもゆったり時間が流れるようなんですよ。みなさんすごく穏やかで。その中で、伝統を守りつつ新しいことへどんどんチャレンジされている姿を拝見しながら、本当にすごいなと感じていました。今日はその辺りのお話をぜひうかがえたらと思います。
吉村はい、よろしくお願いいたします。
1 吉村さんの奥様である由依子さんが店主となり生まれたブランド。ココナッツシュガーやメープルシロップ、玄米など血糖値の急な上昇を抑える低GI値食品を多く使用しているのが大きな特徴。
CHAPTER02
頑張ろうと思った矢先に見つかった脳腫瘍
柴田会社として新しいことにチャレンジする時って、経営者が「今までやったことのないことをしよう」と、既存の枠の外側に出ていこうとしている時だと思うんです。だけど、枠の内側で既存事業に携わっているスタッフからすると、「なんでこんなことをしないといけないんだろう」と思うこともよくあるのではないかな、と。
枠の外側と内側、両者の間を行ったり来たりしないと、新しいチャレンジはなかなかうまくいかない。「はたらくデザイン」は仕組み化や言語化を通して、その両者の間の溝を埋めてチャレンジが生まれる会社にしていこうという取り組みです。
僕自身、世の経営者の皆さんはその溝をどう埋めていらっしゃるのか興味があるのですが、吉村さんは8代目に就任されてから、どのように事業を成長させてこられたんでしょうか。
吉村僕は大学を卒業してすぐここに就職して、9年前に父が亡くなった時に当主に就任しました。父が亡くなる3年前までは10年ぐらい毎年赤字続きで、経営も苦しい状況だったんです。このビルの借金だけで、億単位の負債がありましたしね。バブル期に設計して、バブルが弾けて竣工っていうとても難しいケースでした。借り入れも増えていって、かなり大変だったと思います。
ただ僕は長野の大学に通っていて京都にいなかったので、その大変さがよくわかっていなかったんですよ。家業に就職したのも就職氷河期だったからで、「嫌になったら辞めたらいいや」と全然やる気がありませんでした(笑)。当時の番頭さんから「お前は息子やから一番早く来て、一番遅くに帰らなあかん」って言われていたけど、普通にみんなと一緒に出勤して退勤して、給料もらっては飲み会ばっかり行ってましたね。
柴田え、そうなんですか!(笑)
吉村でもそのうち結婚して子供も生まれて、「頑張らなあかんな」って思うようになって。そこから一生懸命やり始めたんですけど、僕のやり方が悪いのか、周りと軋轢が生じて全然うまくいかないんです。
頑張れば頑張るほど仕事が楽しくなくなってきて、借金もあるし、しんどいし……そんなんやから、会合とか行ったらめちゃくちゃ酒を飲んでしまうわけですよ。
柴田へえー。
吉村ある時、祇園のお茶屋さんで、老舗の集まりの新年会でめちゃくちゃ飲んでしまって、早々に記憶を無くしてタクシーで帰ったんです。それでタクシーから降りた途端にこけて、ガンって頭を打っちゃって。救急車で運ばれて、念のためにレントゲンを撮ったら、脳腫瘍が見つかったんです。
柴田えっ、その時に見つかったんですか?
吉村そう、もともと腫瘍があったんですよね。それが34歳の時です。僕は母を脳腫瘍で亡くしているので、突然「死」というものが現実に立ちはだかった瞬間で。「死んだらどうしよう」「この人生、何やったんやろう」「何のために生きてるんやろう」みたいな、普段考えないようなことをぐるぐる考えました。でも、そんなん言うてる暇もなく、手術の日程が決まって、放射線も抗がん剤もやらなあかんくなって。
その後、手術は成功したんですけど、左脳の一部を取ったんで、論理的に考えるとか話すとかができなくなったんですよ。飲み会の時はマシンガンのように喋ってたのに(笑)。
柴田いやぁ……そのギャップたるやすごいですよね。当時はしばらく引きずったりしなかったんですか?
吉村引きずりましたし、だいぶ自分と向き合いましたね。「なんで自分が?」ってずっと考えてる状態です。幸い運動機能には障害が残らなかったので、半年後に仕事に復帰しました。感覚的なことはできたので、職人仕事はできたんです。でも、考えたり話したり、計算したりがなかなかできなくなっている。
柴田経営者としては、そこの部分はとても大事ですよね。
吉村そうなんです。そのころはまだ父が元気だったので、僕は治療を続けていて、少しずつ回復して喋ったり計算できたりするようになりました。ただ薬もないですし、経過観察の間はずっと不安なんですよね。いろんな民間療法や健康食品に頼りました。
そんな時、本屋さんで立ち読みしていたら、ある本に出会ったんです。ヨガの本だったんですけど、僕の悩みに対する答えがスラスラ書いてある。「この人に会おう!」と思って著者であるヨガ指導者の相川圭子さんのところに入門して、ヨガと瞑想を始めました。そこからかなり変わりましたね。
CHAPTER03
「こだわりをちょっと横に置いておいて、やってみよ」
柴田そこで学ばれたのはどんなことなんでしょうか。
吉村先生の言葉で一番引っかかっていたのは、「こだわりを捨てなさい」ということでした。でもうちは京都の和菓子屋ですから、こだわってなんぼやと思っていて、その意味がよくわからなかったんですよね。
だけど、ある時百貨店さんの打ち合わせで、「次はこういう素材を使ってください」「こういうモチーフで作ってください」って言われた時に、咄嗟に「こういうのは和菓子ちゃうからできひん」と思ったんです。そしたらふと「あ、これがこだわりちゃうかな」って気づいたんですね。
それまでは、こだわっていることにすら気づいていなくて、脊髄反射的に断っていた。でも先生の教えを思い出して「このこだわりをちょっと横に置いておいて、やってみよ」と思ったんです。すると百貨店の方が喜んでくれて、買ってくれたお客さんも喜んでくれて。そういうことを続けていくと、百貨店さんの間で「亀屋さんに頼んだらなんとかしてくれる」という噂が広がったみたいで、どんどん注文が来るようになったんです。
柴田なるほどなぁ。
定番商品であるお干菓子の詰め合わせ「宝ぽち袋」。京都のテキスタイルブランドSOU・SOUの伊勢木綿の布ぽち袋に入っていて、柄は5種類から選ぶことができる。
吉村うちのパッケージデザインをお願いしているSOU・SOUさんとの出会いも同時期でした。和菓子を出してるカフェがあると噂で聞いて、実際に行ってみたらすごく素敵で、「いつか一緒に仕事ができるといいなぁ」と思っていたんです。そうしたらちょうどその日、あるお寺さんから「お茶会でお菓子を作ってほしい」と言われて。打ち合わせに行ったら、プロデューサーがSOU・SOUの代表の若林さんだというんですね。これは運命やなと思いました。
だけど、ある時SOU・SOUさんにお菓子を作っていったら、若林さんがそれを見て、お菓子を指でギュッてして形を変えたんですよ。
柴田ええ!
吉村心の中では「何すんねや」と思ったけれど、よう見たらかっこよくなってるんです(笑)。ああ、この人すごいなって。それから、SOU・SOUさんにパッケージデザインをお願いすることにしました。
柴田そのお話、まさに「こだわりを捨て」ていらっしゃいますね。お菓子の形を変えられたらついムッとしてしまいそうだけど、そこでちゃんと「良くなっている」と受け入れられるのはすごいと思います。そこからさらに発展されているわけですもんね。
吉村いろんなことを受け入れ始めてから、良い方へ変わったような気がします。やっぱり周りを変えようとしても変えられないんですよ。でも自分だったら変えることができる。
柴田本当にそうですね。
吉村ヨガでは「大事なものは自分の内側にある」と教わるんです。勉強したり知識をつけたりするのも大切だけど、外にばかり求めてもキリがない、素晴らしいものはすでに自分の中にある、そこに気づき到達する。
こういう仕事をしていると、やっぱり直感がすごく大事なんですよ。どれがいい形か、どれがいい味か、どれがおいしそうか……それらは自分の中にある輝きや光、可愛らしさを表す作業、そこに還っていく作業なんです。
なかなか難しいことですけど、そういう考え方に出会ってからは、紆余曲折あれど順調にいっているような気がします。抽象的なことばかりで、わかりにくいかもしれないんですけど(笑)。
CHAPTER04
経営者は景気を理由にしてはいけないと思う
パンにのせて焼くと熱々の「小倉バタートースト」になる、シート状の羊羹。羊羹の形状を変えることで売り上げが年々伸び続け、3年目には1,000倍にまでなった大ヒット商品。
柴田今や看板商品となっている「スライスようかん」など、亀屋さんはアイデアがとても豊かだなと思うのですが、そういうアイデアが生まれやすくなるための工夫は何かされているんですか?
吉村工夫っていうものでもないですけど、大事にしているのは「みんなを信じる」ことですかね。社員それぞれが持ついいところを見つけて、尊敬して、幸せを願うことかな。
柴田でも会社がしんどい時こそ「みんなを信じる」ことができなくなりがちじゃないかな、と思うのですが……。
吉村直近で言うとやっぱりコロナはしんどかったです。あの時は、売り上げが1ヶ月で7割落ちて、もう笑うしかない状態でしたね。
でも、どっかで「大丈夫なんちゃうか」って思っていました。やっぱり経営者は、景気を理由にしたらいけないと思う。どんな時でも、どっかで儲かってる人はいるのでね。何か絶対にやりようがあるだろうと。
なので、スタッフの給料は下げないでボーナスも出しました。「ボーナス出す!」って言った時はドキドキしたけど(笑)、希望のない期間でしたからちょっとでもみんなに希望を持ってほしかったんです。
柴田それはすごいなぁ。
吉村まあ、コロナと言ってもインフラもネットも動いていますし、お客さんも購買意欲はあるだろうから、なんとかなるやろ、と。それでネットを強化して、SNSも始めました。
柴田今やX(Twitter)ですごいフォロワー数ですよね。
吉村これはコンサルの方に言われて始めたんですよ。「Twitterって何?」っていうくらい知識がなかったんですけど、「製造動画を流すだけでいいですから」って言われてやってみたら、フォロワーさんがどんどん増えて。
和菓子業界ってクローズドな世界なので、あまり世間に知られていないんですよ。だから逆に新鮮だったんでしょうね。それにSNSをやっている方は季節感に敏感なのと、美しい可愛らしい日本の伝統文化に興味があるようで、伸びしろがすごくあったみたいです。
あとは京都の老舗の味がちょっとずつ味わえる、「おうちで京都気分。」という詰め合わせも出しました。東京出身のスタッフが「コロナで京都に行けへんから、味だけでも楽しみたい」と言っていたので形にしたんです。
柴田そういう苦境でもアイデアが出るのは素晴らしいですね。
京都老舗の会「百味會」のメンバーに声をかけ、実現した初のコラボセット。お菓子だけでなく、食事にも楽しめる人気の品が集まった。2020年4月~7月まで販売(現在は販売終了)。
柴田先ほど「信じる・尊敬する・幸せを願う」とおっしゃっていましたが、220周年祭では亀屋さんから独立した方の情報もパネル展示されていましたよね。老舗セットを作ったり、独立した後も応援したりと、吉村さんは「自分の店」だけじゃない感じがします。他のお店とも栄えていこうとされている感じが。
吉村独立するって聞くときはやっぱりショックですけどね。「また募集しなあかんなぁ」とか(笑)。でも、一番嬉しいのは社員のみんなが仕事を通して成長してくれることなんですよ。ですから独立するのも、結構嬉しいんですよね。
そもそも京都って「よそはよそ、うちはうち」っていう考え方があって、昔からずっと資本主義と距離を置き続けているんですよ。資本主義は「儲けてなんぼ」だけど、京都では利益を追求しすぎると後ろ指を刺される空気がある。理念が薄まってしまうから、大きくなることをあまり良しとしないんです。
それよりも、個人が哲学を持って道を極めることを良しとしているから、京都にはいろんな店があってバラエティがある。京都の和菓子文化っていうのはそうやって豊かになってきたんだと思います。
CHAPTER05
「伝統」という道具を使いながら、今の人に喜びを
柴田亀屋さんは、伝統をただ引き継ぐだけじゃなくて、現代に合わせて常に新しくいらっしゃいますよね。守りながらも攻めていく塩梅というのは、どういうふうにされているのかなと思うのですが。
吉村そこが難しいところでもあり、おもしろいところでもあるんですよね。病気をする前は、伝統は守らなあかんものやと思っていたんです。他の老舗の人に聞いても「バトンを渡すためにやっている」と言うし、僕もそう思っていました。でも、それだと守りに入ってしまうんですね。
ヨガを学ぶ中で「体も心も道具なんだ」と知った時、「伝統」も昔の人が開発してくれた知恵の積み重ねであり、道具だと思いました。道具を使う目的は、目の前の人にどう楽しんでもらうか、幸せになってもらうか。うちは和菓子っていう道具しか使えませんから、それを使っていかにみんなに喜んでもらうかです。そのためには流行を取り入れるのもあり。売れるってことは、皆さんが必要としているってことですからね。
柴田20周年ごときが何を言うとんねんって感じかもしれないのですが、今のお話を聞いて、最善の「今」の積み重ねだけが伝統になるのではないかなと思いました。今見たら伝統的なものも、きっと最初は最先端だったはず。だけど、たくさんの人に喜ばれてきたからこそ、伝統として残っている。一方で、伝統を意識しすぎて今を疎かにすると、伝統はそこで終わってしまうんじゃないかと思うんです。
京都には老舗の会社さんが多いけど、どこも革新的なところばかりじゃないですか。皆さん、常にチャレンジされていて、常に最善の「今」を重ねている。だからこそ伝統を守れているのだろうなと。
吉村京都には「へんこ(偏屈者)」が多いですよね。市場経済からちょっと離れたところで、独自の美しさや可愛らしさ、センスを追求してきた老舗さんが多い。そのへんこが守ってきた京都が、外国から見るとすごく魅力的に映っているんじゃないかと思います。
柴田だから京都にはおもしろい会社や人が多いんだなと、改めて気づきをいただきました。今日はありがとうございました!
MEMO
取材後に、吉村さんが和菓子を作っていらっしゃるところを見学させていただきました。白やピンクの餡が、吉村さんの手の中でみるみる美しい菊の花の形になっていく様子に感動。ここまでできるようになるには、5,6年はかかるとのこと。若手の社員さんも、吉村さんの手仕事をじっとご覧になっていました。
帰りにお土産としていただいたのですが、食べるのも惜しいくらいのかわいさ。吉村さんのお話を思い出しながら、上品で優しい味わいに心癒されたひとときでした。
- 取材・文
- 土門蘭